海野ひろし_大地(静岡市議候補)に立つ!
- uhmin07150sen
- 2021年3月19日
- 読了時間: 3分
ちゃららーん、ちゃらん!
静岡市民の皆さん、に限らず皆さんこんにちは。はじめましての方は、はじめまして、お久しぶりの方々には、ほんっとうにお久しぶりです。まだ生きてます!むしろ生き生きしています!!地元に方々にはこそっと立候補して驚かせてすみません。
御覧の通り、静岡市議会議員選挙、葵区にて立候補しました。自分も長いこと生きてきまして、どうすれば自分なりに満足のいく人生をこれからも送っていけるのかなと思った時に、これはいいものだと伝えることをお仕事としたいと考えていたのですが、どうにも社会が生きづらい感覚がぬぐえなくて、これはこの社会の課題を克服することに全力で挑まないと自分に納得がいかないなと思った次第でした。
僕も別に自分がやらなくても誰かがいい政治をしてくれたらこれといった不満もなかったのでしょうが、どうにも自分のなかで、そうじゃないだろ、という気持ちが強く、僕が一番上手に政治を操れるんだ!という訳の分からない気持ちは無いですけど、自分の生きている世界が理不尽だったり窮屈を感じるのは嫌だなというごくごく生理的欲求から、もっと多くの人が自分らしく生きる方法はあるんじゃないかという模索ができたらなと思った次第です。
僕も自分のことは自覚しており、とっても独善的な一面、全面?があるのを承知しており、若いころから変に人をリードして、導いてやろうという感じの押し付け感があるんだろうなと自己嫌悪に陥りながら生きてまいりました。だから下手にそのような真似をすると、自分も人も不幸になるだろうと思い、能力がある無しにかかわらず、人の上に立つことをせず、必ず誰かを立てるようにして、自分にも戒めをもっておとなしくするようにと生きてきた気がします。
幸いに、僕も他人も一人一人であって、誰かのためにみんながいるという、ゲームの主人公とその他モブということが無いように考えられるようになったかな、と今の自分を思っています。すると、贅沢なことに、じゃあみんながみんな、自分なりを追求で来たら世界は面白いだろうという欲求がわいてきました。これも今回の立候補の側面になります。
これを追求した結果、町というか、地域がお互いを持ち上げ助け合うことで、十分にみんなの願いを達成できるのではという仮説に至りました。街中をステージにして自分ってさいこーというパフォーマンスができたら、それでいいんじゃないかと。テレビに出る必要も、メジャーになる必要もなく、周囲の人に温かく迎えられるだけで十分幸せなんじゃないかと。
そのために町は全力でみんなを持ち上げるというと言葉があれなので、自分らしさをプロデュースできる装置として機能する必要があるのかなと考えました。そのための秘策、腹案があります。またそれは今度披露するとして、第一回目のブログはこの辺にしておきます。
取り留めない文章で申し訳ありませんが、僕らしく、をモットーに徒然なる文章をお許しください。




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